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2016年02月

DSCN2964ここ数年、クリスマスや年末に限らずやたらスペアリブを作るようになった。つけダレを変えるだけでいろいろな味を楽しむことができるからだ。

お好みのタレに一晩漬けておき、電子レンジの「グリル」にセットして焼き上げるだけなのでとても簡単なのである。肉はいつも豚肉です。

ということで、この大晦日に韓国風スペアリブを作りました。何が韓国風なのかというと「プルコギのたれ」に漬けておくだけといういつもながらの手抜き簡単レシピです。

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「プルコギ」というのは韓国料理の定番メニュー。

本来は肉とたっぷり野菜を甘辛味で炒め煮したもの。

向こうのご家庭では「ヤンニョム」という韓国の合わせ調味料を作り、それをつけだれとしてよく使われるそうです。

今回は市販の「プルコギのたれ」というのを利用しました。

「プル」は火、「コギ」は肉という意味で、日本の焼肉というより「韓国風すき焼き」といった感じ。ぼくも35年前、本場ソウルの飲食店で初めて食べました。

スペアリブとはご存知だと思いますが骨付きあばら肉のことです。骨付きでなくてもスペアリブと英語ではいうようです。

上記のようにタレにつけておき、焼くだけでおいしくいただけます。値段も安価なので助かります。タレは「焼肉のたれ」だったり「ヨシダソース」だったり、その他自分でも作ります。

できるだけたくさん作ってお皿に盛りましょう。そして、ナイフやフォークなどというお上品なことなどせず、ここは手に取り、丸かじりでいきましょう。

ギャートルズよろしく「ガルルー」って口のまわりタレだらけにしてかぶりつきましょう。野生に戻りましょう。

カニだとついつい無口になりますが、これだとみんなワイワイ楽しく宴が盛り上がるはずです。

今年の節分の日は巻きずしの替わりに恵方を向いてスペアリブの丸かぶりを試みようと思います。

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今年は、大阪城が話題になるはずである。
天守内部は近代化されていてつまらないが、周りのお堀などを散策するのはオススメです。
(2015.5月撮)






皆様、あけましておめでとうございます。今年もコクア通信をご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

さて、年始のあいさつでまず思い浮かぶのが、出すのはめんどうくさいが、いただくとうれしい、そう、年賀状ですね。

この年賀状を出すという習慣、いったいいつごろから始まったのでしょうかねえ。調べてみると、かなり昔からあったようです。

そもそも、新年を祝う儀式などは世界をみてもメソポタミア文明などの四大文明のころからあったらしく、その年の収穫を祈願していたようです。

中国式の暦(こよみ)が朝鮮半島から日本に伝わったのが6世紀中ごろ。当初、文字が書かれたのはほとんどが木片で、紙が使われ出したのは6世紀以降から。

みなさんもご存知の歴史テストによく出てきた645年「大化の改新」によりいろいろな制度が整えられました。その一つが飛駅使制度。約16キロごとに設置された駅の早馬を使い、遠く離れた地方へも文書などが届けられました。

そして、平安時代になると貴族階級の間で年賀の書状のやり取りが広まっていき、戦国時代には「駅伝」や「飛脚」などの制度が発達したこともあり、大名や武将クラスといった人たちによる文書のやり取りも多くなってきました。当然、年賀の祝辞も増えていったようです。

江戸時代になると、街道も整備され、「飛脚」制度も充実してきました。すると、町人文化であった江戸中期になると、武士階級のみならず一般庶民までもが手紙を出すようになりました。その背景には寺子屋などの教育の普及があったからです。江戸後期には日本人の識字率は世界一だったようですね。

明治3年に郵便事業が始まると、3年後の明治6年にはすでに「郵便はがき」も発行されました。

郵便制度が誕生すると上流階級や知識人の間で年賀状を出すことが多くなりました。当初、和紙などにしたため封書にいれて送っていたのですが、はがきが普及し定着するとそちらに移行していきました。

その後、年賀状を出すという習慣は一般庶民にも広がり、
明治20年ごろには「年賀状を出す」ということが国民に完全に定着し、年中行事のひとつとなったようです。

ところで、今では年賀はがきといえば「お年玉くじ付き」というのが当たり前ですが、さて、このくじ付きはがきはいつから始まったのでしょうか?

それは、1949年、昭和24年だったそうです。

敗戦した戦後日本の暗い空気の中、落ち込んだ国民をどうにか立ち直らせよう、明るくしよう、そして、戦後復興のきっかけにしようということでスタートしました。

このアイデア、なんと郵政省からではなく、林正治さんという民間人からのものでした。もちろん、大ヒットでした。

賞品も時代を反映していました。

第1回目は、特等:ミシン、1等:純毛洋服地、2等:学童用グローブ、3等:学童用こうもり傘。当時の庶民の夢のひとつは「家庭で洋服がつくれる」ことでした。今のように既製服が安くなかったというのもありますね。
そして、ベビーブームの到来で子供に関心があったようですね。

1956(昭和31)年の1等は電気洗濯機。当時の三種の神器はこれと白黒テレビと冷蔵庫でした。

1960(昭和35)年はフォームラバーマットレス。フォームラバーとは、太平洋戦争中に振動の激しい戦車の座席用クッションとして開発されたもので、昭和25年にはブリジストンタイヤ社がこれを使用したマットレスを売り出しました。

1965(昭和40)年以降、ポータブルテレビ、8ミリ撮影機・映写機セットなどが続きます。

1985(昭和59)年は電子レンジ。

1986(昭和61)年はビデオテープレコーダー。
そして、平成に入ってからは海外旅行、液晶テレビ、パソコンというわけで、まあ、お年玉くじの賞品はまさに世相を表していますよね。

今年は温暖化のせいで、花粉症も早く始まっているそうです。
敏感な方は気をつけてくださいね。

インフルエンザも流行っているそうですので、花粉症対策も含めて
マスクをつけたほうがいいでしょうね。

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