初夏に取れる鰹(カツオ)を「初鰹」というのに対して9月から10月のものを「戻り鰹」というのは皆さんご存知であろう。鰹は古事記や日本書紀にも出てくるほど古くから食用にされてきた。しかし、サバほどではないがかなり傷みやすい魚のため生で食べるのは鎌倉時代以降で、それ以前は堅くなるまで干してから食べていた。そこから「カタウオ(堅魚)」と呼ばれだし、略して「カツオ(鰹)」となった。

江戸時代、庶民の間では鰹のお刺身が大人気だった。だが、傷みやすい魚のため食中毒になる人が多かった。そこで、幕府は「鰹のお刺身禁止令」をだした。人々は食べたくて食べたくてしようがなかった。ぼくだって、たぶんかなり歯噛みしてしまっていただろう。なんたってぼくはお刺身のなかでカツオが一番の好物なのだ。ダメと言われればますます食べたくなるのが心情ですしね。

しかし、土佐のひとたちはかしこかった。鰹の表面を焼いて、見た目を「焼き魚」に見せかけ、こっそり食べていた。ところが、意外にもそれがお刺身よりおいしいことを発見した。焼くことでうまみ成分の「イノシン酸」がでるからである。「鰹のたたき」は庶民の工夫からの偶然の産物だったのである。

カツオから次に連想されるのは「かつお節」であろうか。江戸時代、漁業技術がいちばんすぐれていたのは紀州藩(和歌山県)だったが、紀州熊野の甚太郎という人物が魚肉の水分を除去したのをきっかけに、同じく熊野人の土佐与一という人物が「かび節」の製法を始めた。つまり「かつお節」の発明は紀州人とされている。

当時、紀州の漁師の‘うで’は世界的にもかなり名が通っていた。鰹漁も捕鯨も彼ら紀州人の脳細胞からあみだされていた。そしてあの文豪ヘミングウェイも「紀州の漁師と勝負をしたい」、と洩らしていたそうだ。