今年初めてのお国自慢は和歌山です。このコーナーも気が向いたら書く、という感じでまだ17回目。そして、自分の出身地を待ちわびている方には申し訳ないのですが、北海道、九州、東北の一部は当分先になるでしょう。というのも、私自身が訪れたところしかご紹介できないからです。行ったこともない土地のことを語るのもどうかなあ、と考えるからです。その県のどこかの駅のホームに降り立った、というのもダメで少なくとも駅の外へ出る、というのを条件としたい。

さて、この和歌山県は紀伊半島の西半分を画し、県面積(4726k㎡全国30位)の8割が山地で、紀ノ川や日高川流域の平野部を除いては山々に覆われている。古くは「木の国(きのくに)」と呼ばれその後「紀伊国」となった。3世紀から5世紀にかけて紀ノ川下流域に「紀氏(きし)」という集団が現れ、長い期間支配していた。

平安時代816年には空海が高野山に道場を開き、金剛峯寺(こんごうぶじ)が真言密教の中心地となる。平安中期以降、熊野地方は神の宿る神秘なところと考えられるようになり、本宮、新宮、那智は熊野三山と呼ばれ、江戸時代までは「蟻の熊野詣」といわれたほど参詣者で賑わった。

今の和歌山市の和歌山城を最初に拡張していったのは、徳川家康の10男頼宣(よりのぶ)の入国からである。1633年の大水害にもめげず、城下町も整備していった。後、5代藩主に就任した「暴れん坊将軍」で有名な吉宗(よしむね)は倹約を奨励し、今で言う「事業仕分け」なども行い、人員を整理して、財政の建て直しに成功した。

さて、紀州の特産物としてはミカン、備長炭をはじめいろいろあるのだが、特筆すべきことは「湯浅醤油(ゆあさしょうゆ)」といって醤油発祥の地でもあることだ。

1228年(鎌倉時代)、現在の日高郡由良町の興国寺というお寺の覚心(かくしん)という僧が、中国から径山寺(きんざんじ)味噌の醸造法をならって帰国し、湯浅で広めたことが始まりだといわれている。その工程で槽の底に沈殿した液が食物を煮るのに適していることがわかり、様々な工夫を凝らして醤油を醸造することになったそうだ。

最後に、今回訪れた南紀白浜温泉は兵庫県の有馬、愛媛県の道後とともに日本書紀などにも出てくる古い温泉で日本三古湯のひとつである。白浜という地名は千葉県の房総半島にもあり、歴史的に初出したのは千葉の方が先で平安時代とも言われているが、こちら和歌山の方は大正時代であるらしい。

白浜の由来はこの近くの白良浜(しららはま)からで、この浜はサラサラの白い砂で、とても美しいビーチである。今回夕食後に夜の浜辺を散歩したのだが、砂がとても細かくシューズの紐の穴からその砂が入ってきて難儀をしたが、それはそれで実に気持ちよかったのである。

見上げれば、夜空は満天の星で埋め尽くされていた。しばらく星座の薀蓄話(うんちくばなし)を妻や娘に話そうと思ったが、さすがに冬の海の寒さには耐えられなく、あわててホテルに戻った我々は、その日2回目の大浴場へと向かったのであった。