忍者電車の伊賀鉄道。
さすが運転士は忍者ではなかったが駅や車内には忍者人形が多く見られた。(2016.8月撮)
7月に引き続き、8月も青春18きっぷを握りしめ、日帰りの旅へ出かけた。今回の観光地点は忍者で知られる三重県伊賀の伊賀上野城、滋賀県の宿場町草津の本陣、最後、おまけに京都駅界隈をブラつくという、まあ、今回も割とハードな移動であった。
学研都市線などというハイカラな名前がついてはいるが、四条畷駅を過ぎるとだんだん都市とは呼べない風景になっていき、同志社前駅あたりになると完全に田舎だったのでびっくりした。
ひと仕事終えた学研都市線。
加茂駅から関西線の亀山行きに乗車。
関西線の伊賀上野駅で下車後、忍者電車で有名?な伊賀鉄道(今年で開業100周年!)で上野市駅へ。
このあたりは松尾芭蕉の生地としても知られている。
開業100周年!
上野市駅ではロボットも歓迎してくれたが、
ぼくはお城を見たいので伊賀上野城へと急いだ。
現在の天守は昭和10年に復元。
寝返り名人、いや失礼、築城の名手、藤堂高虎の横はマスコットキャラクターの「た伊賀―くん」。
天守からの眺め。
お堀にある高さ約30mの高石垣は大阪城と並び日本一。
黒澤明監督の「影武者」など映画やドラマのロケでもよく使われている。
駅に戻り、
伊賀鉄道で再び関西線の伊賀上野駅へ。
だが、まあ、どこもかしこもとにかく忍者だらけであったことよ。
伊賀上野駅から柘植(つげ)駅へ移動して草津線に乗り換えるのだが、本数が少ないので次の列車まで何もない柘植駅周辺をウロウロ。やはり、何もない。
柘植駅から滋賀県草津駅までは国鉄時代のレトロ感あふれる車両で約40分のローカルな旅。
草津駅はそこそこ開けた街であった。草津は東海道五十三次のうち、江戸から数えて52番目の宿場町。東海道と中山道の分岐点だったため、当時はよく賑わっていたという。
向かうは草津宿本陣。本陣とは昔の休泊施設。江戸時代は大名や公家、その他お偉いさんなどが利用していた。
現存する本陣の中でも最大級の草津本陣は国指定史跡。
偉い度ランクにより泊まれる部屋も違っていたそうだ。
大福帳には吉良上野介(きらこうずけのすけ)、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、皇女和宮(こうじょかずのみや)、シーボルト、土方歳三などの名前も見られる。
京都駅へ移動後は京都タワーを眺めながら東本願寺へと歩く。
境内の御影堂観覧後、
京都最古の花街、島原へ。
島原大門(しまばらおおもん)を抜けてしばらく歩いていくと、揚屋といって、今でいう宴会場なのだが、そのひとつ「角屋」という揚屋が当時のままの姿で残されていた。幕末の志士や新撰組などもよく利用していたという。
紙面の都合で最後端折ってしまったが、とにかく今回の旅もかなり歩きました。大阪に戻った後はいつものように天満の立ち飲み屋「酒の奥田」で気楽にいっぱいやりました。
やはり、ひとり旅はいいもんだ。完。
さすが運転士は忍者ではなかったが駅や車内には忍者人形が多く見られた。(2016.8月撮)
7月に引き続き、8月も青春18きっぷを握りしめ、日帰りの旅へ出かけた。今回の観光地点は忍者で知られる三重県伊賀の伊賀上野城、滋賀県の宿場町草津の本陣、最後、おまけに京都駅界隈をブラつくという、まあ、今回も割とハードな移動であった。
学研都市線などというハイカラな名前がついてはいるが、四条畷駅を過ぎるとだんだん都市とは呼べない風景になっていき、同志社前駅あたりになると完全に田舎だったのでびっくりした。
ひと仕事終えた学研都市線。
加茂駅から関西線の亀山行きに乗車。
関西線の伊賀上野駅で下車後、忍者電車で有名?な伊賀鉄道(今年で開業100周年!)で上野市駅へ。
このあたりは松尾芭蕉の生地としても知られている。
開業100周年!
上野市駅ではロボットも歓迎してくれたが、
ぼくはお城を見たいので伊賀上野城へと急いだ。
現在の天守は昭和10年に復元。
寝返り名人、いや失礼、築城の名手、藤堂高虎の横はマスコットキャラクターの「た伊賀―くん」。
天守からの眺め。
お堀にある高さ約30mの高石垣は大阪城と並び日本一。
黒澤明監督の「影武者」など映画やドラマのロケでもよく使われている。
駅に戻り、
伊賀鉄道で再び関西線の伊賀上野駅へ。
だが、まあ、どこもかしこもとにかく忍者だらけであったことよ。
伊賀上野駅から柘植(つげ)駅へ移動して草津線に乗り換えるのだが、本数が少ないので次の列車まで何もない柘植駅周辺をウロウロ。やはり、何もない。
柘植駅から滋賀県草津駅までは国鉄時代のレトロ感あふれる車両で約40分のローカルな旅。
草津駅はそこそこ開けた街であった。草津は東海道五十三次のうち、江戸から数えて52番目の宿場町。東海道と中山道の分岐点だったため、当時はよく賑わっていたという。
向かうは草津宿本陣。本陣とは昔の休泊施設。江戸時代は大名や公家、その他お偉いさんなどが利用していた。
現存する本陣の中でも最大級の草津本陣は国指定史跡。
偉い度ランクにより泊まれる部屋も違っていたそうだ。
大福帳には吉良上野介(きらこうずけのすけ)、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、皇女和宮(こうじょかずのみや)、シーボルト、土方歳三などの名前も見られる。
京都駅へ移動後は京都タワーを眺めながら東本願寺へと歩く。
境内の御影堂観覧後、
京都最古の花街、島原へ。
島原大門(しまばらおおもん)を抜けてしばらく歩いていくと、揚屋といって、今でいう宴会場なのだが、そのひとつ「角屋」という揚屋が当時のままの姿で残されていた。幕末の志士や新撰組などもよく利用していたという。
紙面の都合で最後端折ってしまったが、とにかく今回の旅もかなり歩きました。大阪に戻った後はいつものように天満の立ち飲み屋「酒の奥田」で気楽にいっぱいやりました。
やはり、ひとり旅はいいもんだ。完。