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カテゴリ: KOKUA的用語解説

年越しそば・・・起源やいわれには数多くあるが、細く長く、長寿や繁栄を祈る、というのが一般的だが他にもいろいろな説がある。
① 800年程前(鎌倉時代)に九州博多の承天寺で貧しくて年を越せない人たちにそば餅を配ったところ、運が向いてきたということで運そばを食べる習慣が始まった。

② 500年程前(室町時代)に関東地方でその年の無事息災を祝って年末に家族そろってそばを食べていた。

③ そばは切れやすいから、1年の苦労や災い、借金などを断ち切る説。

④ 金銀細工師は散らかった金粉を集める時にねったそば粉を使う。そこから、そばは金を集めるという縁起説。

除夜の鐘・・・だいたい除夜(じょや)とはなんじょや?とまずはオヤジギャグ。除夜とは大晦日の夜のことである。大晦日は1年の最後の日で、古い年を取り除き、新年を迎える日という意味から「除日(じょじつ)」といい、その夜なので「除夜」なのである。

煩悩(ぼんのう・人間の欲望のこと)の数(108回)だけたたかれるといわれる除夜の鐘。実際は大晦日の晩にたたかれる回数は107回で、残り1回はその年の煩悩にわずらわせられないようにと、年が明けてから1回つかれるらしい。

おせち・・・五節句の料理の1つで、平安時代に宮中で行われていた「お節供(おせちく)」の行事に由来しているらしい。五節句というのは1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日など奇数の重なる日が選ばれている。1月だけは1日(元日)が別格で7日である。

お節供とは節日(せちにち・前述の元日と五節句のこと)に神にお供えをし、宴を開く宮中行事のこと。江戸時代後期に江戸の庶民がこの宮中行事を生活に取り入れ始めたのをきっかけに、全国的におせち料理の風習が広まり、やがて節句の一番目にあたる正月にふるまわれるご馳走だけが「おせち料理」と呼ばれるようになったということだ。

お屠蘇・・・おとそは邪気をはらい長寿を願って飲む新年の祝い酒である。屠蘇延命散や屠蘇散といわれる数種類の漢方薬を配合し袋につめたものを酒(みりん・清酒)に浸して成分を抽出した薬用酒のこと。

屠は鬼や病を屠る(ほふる)こと、蘇は蘇生を意味する。つまり、悪霊や病を退治して人の魂を甦らせるのである。もともとは中国の医師による処方が始まりだそうだが(実はこの医者が住んでいた家の名前が「屠蘇庵」といったそうだ)、平安時代には宮中で用いられるようになり、一般に広まったのは江戸時代に入ってからだといわれている。年少者から順にいただくことでその若さを年長者があやかるのだそうだ。

お雑煮・・・もともと、雑煮は「烹雑(ほうぞう、にまぜ)」といって必ずしも正月三が日に食べるものではなかったらしいが、室町時代の料理書『包丁聞書』やその他の文献によると、その年の豊穣を司る神様「歳神様(としがみさま)」に餅やその土地の海の幸や山の幸を供え、そのおさがりを煮混ぜて、神様と人とが一緒に食したのが始まりだそうだ。

初詣・・・はつもうで。正月の一大イベントという人もいる。どうでもいいという人もいる。

1.参拝する社寺は恵方(えほう)(その年の縁起のいい方角・自宅のところから)に当たるところが良い。
2010年は西南西です。

2.元旦に参拝するのを初詣というが、1月3日の『三が日』までなら同等のご利益があるらしい。

3.喪中の場合は寺は良いが、神社へはこの1年は避ける。

4.おみくじは凶以外は持ち帰ってもよい。

5.複数の社寺をお参りするのは、より多くの縁を結ぶことになるので良い。

6.絵馬は、願い事を書いて社寺に奉納する。馬は神様の乗り物と信じられていた。破魔矢(はまや)は悪魔を破るために放たれる矢で、かつては男子の成長を願う贈り物でもあった。この破魔矢やお札などは家の中の高い所にお祀りするものらしい。見下ろす場所は避けたほうがいいからだそうだ。以上。

梅雨の語源としては、この時期湿度が高く黴(かび)や黴菌(ばいきん)が発生しやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが転じて「梅雨」となった説や、この時期は梅の実が熟すころなので、という説などがある。どちらにしても、みなさん食中毒には気をつけましょう。

フラメンコダンスを略してフラダンスとはいわない。フラダンスはハワイのもので、フラメンコは、インド北西部が発祥といわれている放浪の民ジプシーが、スペイン南部アンダルシア地方に土着し伝えていった芸能である。

ちなみに、ジプシーは「エジプトからやってきた人」という意味の「エジプシャン」から「ジプシー」となったらしいが、差別的に使用されているということから最近では、ジプシーとはいわず、ロマとかその単数形のロムとか呼ばれている。

さて、このフラメンコは「歌」、「踊り」、「ギターの伴奏」の三つがワンセットになったもので、従って、フラメンコダンスだけではフラメンコとしては成立しない。

ぼくたちは、ホリの深い顔立ちの女性がバラをくわえて「オーレッ!」と叫ぶ、というのがフラメンコだと思いがちだが、実際はバラなどくわえないらしい。トゲで血だらけになってしまいますしね。

そして、日本では「踊り(ダンス)」がまずクローズアップされるが、本当ははじめに、迫害をうけ、厳しい旅を続けてきたジプシーたちの哀調を帯びた「歌」=‘心の叫び’があって、それに「リズム」「伴奏」などがつき、最後に「踊り」がついてきたのだそうだ。

フラメンコのあの激しい踊りには、数々の困難にあい、虐げられてきた彼らの悲しく苦しい思いが込められているのである。西郷輝彦の「星のフラメンコ」とはちょっと違うようだ。

「ごちそう」は日常よく使われる言葉である。豪華な料理のことを「ごちそう」というし、もちろん、食事が終わったら「ごちそうさま」というし、ひとにおごってもらったときも、「ごちそうさん」という。お相撲さんは「ごっつあんです」という。

でも、この言葉はどこからきたか知ってましたあー?ぼくも、先日、ある本を読んでいて恥ずかしながら始めて知ったのです。

これによると、「馳走」ということばは、本来、馬に鞭打って馳(か)けさせることとして使われていたが、武士がこのことばをつかううちに意味が変化した、ということである。

たとえば、戦(いくさ)が起こった場合、「我が方は、一族郎党を従えてすぐさま殿のもとに馳走つかまつります」などということができる。あるいは、「このたびの馳走、ありがたきに思う」などとつかう。前述の「萌え」じゃないけど、日本語ってどんどん変わっていくんですねえ。

節分・・・「せちわかれ」と言い、季節の分かれ目のことです。「明日が立春」というこの日は、新しい春が始まる大晦日、いわば年越しの日でもあります。

豆まき・・・中国では紀元前3世紀の秦の時代に行われており、豆をまくのではなく、桃の弓や葦(あし)の矢、矛と盾などで鬼を追い出したらしい。日本へは遣唐使によってもたらされ、疫病の流行で大量の死者が出た時、当時の文武天皇がこれを行ったとされている。

豆をまくのは、本来その家の主人または年男の役目だった。福豆は生の豆を煎ったものだが、豆を煎るの「いる」は、矢を射るの「いる」と同音で、邪気をやっつける意味がる。悪魔のような鬼の目‘魔目(まめ)’にめがけて豆を投げれば‘魔滅(まめ)’すなわち魔が滅すると考えられるらしい。

ヒイラギにイワシの頭・・・鰯を焼く時のイヤな臭いで鬼を追い払う。柊のギザギザの葉で鬼の目を突く。

オニのパンツはトラのシマシマパンツ・・・古代中国の陰陽五行説では北東の方向は悪いところとされ、「悪い」とは「鬼のいる場所」であり、それは「鬼門」と呼ばれた。北東は十二支でいえば「丑寅」(ウシトラ)。だから、鬼はウシの角を持ち、トラの皮のようなシマシマパンツをはいた姿になったらしい。

鬼のいる鬼門の方角は昔から大変恐れられていて、平安時代には、京都御所の北東にあたる比叡山に延暦寺を建てて鬼門封じをしたり、江戸城の鬼門の方向には上野の寛永寺がある。

恵方巻き(丸かぶり寿司)・・・切らずに丸ごと食べるのは「縁を切らない」ということ。江戸時代末期に大阪の船場で商売繁盛を祈願して始まった風習らしいが、一時廃れる。あらたに、1970年代後半に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行ったイベントによって復活し、以後関西に定着。1990年代に一部のスーパー、1990年代後半には一部のコンビニで、2003年に全国のスーパー・コンビニで販売され急速に広まったということだ。

以上、節分についてまとめましたが、これを2月の後半に読まれた方には、季節はずれで申し訳けなく思う。

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